本サイトは、2012年9月に秋田公立美術工芸短期大学大学開放センター「アトリエももさだ」で行なわれた市民向けイベント「ももさだ祭」の企画として、あきた産業デザイン支援センターが主催した「秋田の手しごと、暮らしごと」展を元に作成しております。
漆人五人衆 川連漆器若手グループ
自分たちらしさを求めて、集まった
五人の漆職人たち
五人衆結成!?
湯沢インターを降り、国道398号線の山谷トンネルを抜けると、湯沢市川連町に入る。奥羽山脈の西麓、皆瀬川流域に拓けた町で、鎌倉時代から続く漆器の産地だ。標高約400mほどの小高い山々に囲まれたこの小さな町には、およそ400(2011年現在)ほどの漆器問屋や漆器職人の家々がひしめき合っている。
ここに、5人の漆職人を訪ねた。
摂津広紀、大関功、佐藤昭仁、佐藤史幸、加藤尚人。塗り師、蒔絵師などの若手職人だけで構成されるグループ「五人衆」のメンバーだ。2002年に結成。その結成秘話を伺った。
当時、湯沢市の事業で世代や職種を超えて川連漆器職人が集まる勉強会があった。川連漆器の製作は、木地づくりの工程は木地師が、塗りの工程は塗り師が、加飾の工程は沈金師あるいは蒔絵師が、という分業制が基本で、お互いの交流や情報交換があまりなかった。まだ職人歴の浅い20代の5人(加藤さんは当時まだ高校生のため、この時のメンバーではなかった)は、先輩職人たちの技や、職種の違う職人たちが力を合わせて一つのものを作りあげていく様子に感化された。
歳も近く、もともと同じ地区の消防団だったりで、顔を合わせる機会も多かった5人。「『俺らも何かしよう!』っていうノリだった。摂津さんは先輩で、俺らをまとめてくれた。」
勉強会はあくまで勉強の場。作り上げたものは売り物ではない。若い5人の中で、「自分たちで作ったものを持って、もっと外に出て行きたい」という気持ちが沸き上って行ったという。
職人みずから売るという挑戦
「そんなカッコいい話じゃないですよ。」と当時を振り返る摂津さん。「よし!やるべ!」と勢いで始まったものの、何から手をつければいいのかわからない状態だったという。
漆器製品の企画・販売は産地問屋が主導するのが一般的だし、産地の製造システムは分業制が基本。「ひたすら注文をこなす」のが日常だった5人が、「注文ではなく、自分が作りたいものを表現」を目指した。
まずは地元のお客さんに見てもらおうと、結成の翌年に横手市増田町の「漆蔵資料館」で第1回目の展示会を開いた。「売れるとか売れないとかはあまり考えなかった。とりあえず何かしないと」と、電話帳をめくって興味を持ってくれそうな所にDMを送ったりした。
「自分たちはそれまで、一般のお客さんとしゃべることも、売り場に出ることもなかった。みんな、初めての経験だった」自分たちが作ったものを前に、お客さんと話す。緊張もしたが、これが良い経験となった。
自費での展示会を重ねること4年。やがて湯沢市も応援してくれるようになった。「お前ら若いのに頑張ってるな。もっと視野を広く持て」と励まされ、青山、京都、仙台など、県外出展の後押しをしてくれた。コンセプトは、『小さなギャラリーをまわるインディーズバンドみたいなグループ』。
時には喧嘩することもあったが、展示会を重ねる毎に成長していった五人。年々リピーターもつくようになり、職人としての腕も磨いていった。
日々の仕事もこなしながら、五人衆として活動することで、「自分たちらしさ」は何か?を意識するようにもなっていった。
五人それぞれの個性
湯沢市産業支援センター内には、五人衆がこれまで発表してきた漆器が展示されている。
「みんな自由にやってるから続いてる。五人衆らしさって何?と聞かれると悩んじゃうけど(笑)。」
自ら木を削り出す大関さんは、自由な造形と、木目を生かした刷り漆。摂津さんは、繊細で華麗な蒔絵を得意とし、塗りの表現も多才だ。一方加藤さんは、大胆でエネルギッシュな蒔絵が持ち味。佐藤昭仁さんは、色の表現にこだわりがあるようだ。佐藤史幸さんは、下地にこだわる、どちらかというとシックな溜漆系。作品を並べて見ると、5人5色の好みや個性が見えてくるからおもしろい。
五人だから出来ること
共通のテーマで取り組んだ10年目
2012年は、五人衆結成10年目の節目の年だ。
5月、秋田市アトリオンで、「酒器」をテーマに展示を行った。川連町がある湯沢市は酒どころということもあって、この小さな器をきっかけに、「もっと漆を使ってほしい」という想いを込め、酒を楽しむための漆器を提案した。
今までは、それぞれが作りたいものを作って出す、というスタンスだったが、初めて5人共通のテーマ、アイテムに絞って取り組んでみた。1つのテーマ、アイテムに絞ったことで、かえって5人の個性が際立つものとなった。4日間の開催で、820人以上の来場があった。毎年恒例となった秋田市アトリオンでの展示会、次回は来年の春を予定している。
これからの五人衆について伺った。
代表の佐藤昭仁さんは、「みんな好みもやりたいこともそれぞれなんだけど、五人衆としての代表作を作りたい。『五人衆カラー』っていうのかな、難しいけど、そんな表現がしたい。それをキッカケに、もっと漆や俺ら職人のことを知ってもらいたい」と語ってくれた。
「小さくてもいいから、常時展示販売できるところがあればすごくいいんだけど。野望だね。」と摂津さん。
佐藤史幸さんは、「産地の他の木地師さん、塗り師さん、沈金蒔絵師さんが居るからこそ、自分たちの仕事ができる。産地も守って行かなきゃいけない。」と、力強い言葉。
5人での活動を続けて知った、ものづくりの周りにある、暮らしのこと、使い手のこと。これからも「いろんな人たちと出会う機会を増やしたい」というのが5人共通の願いだ。
職人としての誇りとよろこび
最後に、5人に漆の仕事を通じてうれしかったこと、思い出などを聞くと、みんな生き生きと話してくれた。
加藤:「俺はまだ仕事して浅くて、いつも親父に仕事が来るんだけど、俺に蒔絵の注文来たときは一番今までで嬉しかったし、仕事してて楽しかった。」
大関:「自分で木削って作ったスプーンを、買ってくれた人が、使って良かったからもう一個欲しいって、次の年にまた来て買ってくれるのが一番うれしい。安いものでないからね。これは自分で売り場に出てみないと得られなかったこと。家の中で仕事してるだけでは、自分が作ったものを誰が買って、それがどう思われてるかなんてわからなかった。お客さんの存在が、やる気につながる。」
佐藤(史):「顧客さんってうれしいよね。最初は川連塗りは東京とかに行っても有名じゃないのに、初めてのお客さんに話聞いてもらって買ってもらって、また来てもらえるとうれしい。あと最近だと、国の重要文化財『上野東照宮修復事業』に携われたこと。自分が死んでも国の建物に職人として名前が残るって、作り手冥利に尽きるというか。」
佐藤(昭):「お客さんに『いいものだ』と言ってもらえるのは俺もうれしい。職人としては、初めて上塗り用の漆を使わせてもらったときの感動というのは、未だに忘れられない。
修行始めて3、4年は上塗り用の刷毛は持たせてもらえなかった。親父に隠されてたからね」
摂津:「ほとんど言われちゃった(笑)。思い出はまだというか・・・日々、謙虚に頑張るだけです。」
5人には、(毎年)10月の川連塗フェアでも会うことができるとのことなので、産地に足を運んでみてはいかがだろうか。
漆の刷毛の話
佐藤昭仁さんの工房で、「3、4年は持たせてもらえない」という上塗り用の刷毛を見せていただいた。
中塗りと違い、上塗りは2倍以上の漆を使う。それも川連塗の一般的な技法「花塗」の場合、一発で塗り上げなければならない。職人になって初めて上塗りをさせてもらった時、ゆっくりと刷毛目が消えていくのを見ながら、「おお・・・本塗りだ〜!!」と感動したという佐藤さん。その時の感動がこちらにまで伝わるような話しぶりが印象的だった。漆塗りの刷毛は、コシの強い女性の髪や馬の尾を束ね、ヒノキ板の柄で挟んだもの。毛先を切って、鉛筆のように柄を削り出して一本の刷毛を長く大事に使うそうだ。道具にも、作り手の魂が込められている。
作り手を訪ねて」
伝統的な技術を活かしつつ、現代生活に合わせ新しくデザインされたもの。職人の確かな腕が生み出す、スタンダードで長く使い続けられる道具。
ふるさとの手しごとと真摯に向き合い、作り手を応援するお店。
「あきた産業デザイン支援センター」のスタッフが、県内各地を走り回り、手しごとに関わる人たちを取材してきました。秋田の様々な手しごとの“今”をご紹介します。
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